選抜歴0回の僕がプロサッカー選手として契約できた理由について考えてみた

どうも。タキヤです。
大学卒業からFWで4年間サッカー選手として活動
(経歴:FC岐阜2016~2018→カターレ富山2018~2019→ラインメール青森2020~2021)
詳しい実績、経歴はWikipediaに記載されているので良かったらみてください。
4年目の最後に契約満了になり度重なる怪我と理想と現実のギャップにやられて引退
2020年4月からサラリーマンとして働き中
早速、プロサッカー選手になるまでの過程と「なんでなれた」かを書いてみたので読んでください。
これを読めば今大学生でサッカー選手を目指している人少しのヒントになるかと。
目次
プロサッカー選手として契約できた理由
大学で全国大会に出たのがきっかけ
大学から卒業してやっとの想いでサッカー選手になることができた。
大学では選抜に選ばれることもなかったし大学4年間までコンスタントに試合に出ることができていなかった。
人生でおそらく最初で最後の全国大会を大学4年生の最後に出場したことによってチャンスは巡ってきた。
しかし、全国大会の初戦「1-3」で試合は負けたが、スコアの「1」は僕が点を決めた。
相手は順天堂大学。
当時の順天堂は現在Jリーグで活躍している選手がごろごろいて強敵だった。
結果その試合でスカウトの目に止まり当時J2のFC岐阜への練習参加が決まった。
ここに至るまで色々な背景があった。
大学3年生まで試合に出場することもなく厳しい状況だった。
大学4年生の合同説明会等夏前までメモ帳片手参加していたが結局行っても話は頭に入ってこない。
途中で企業の合同説明会に参加するのも辞めてサッカー一本で残りの数ヶ月過ごすことを両親に伝えた。
最初はもちろん「就活したほうが良い」と言われ、サッカーを続けることをあまり応援してもらえなかった。
結局、最後は応援してもらえることになり
サッカーに没頭する日々が続いた。
それくらい本気だった。
瀬戸際の3週間
全国大会が終わり約2週間後から3週間後
練習参加することになった。
一般的には練習生はだいたい1週間~2週間練習参加して契約するか否かきまる。
僕は契約に至るまでに約3ヶ月かかった。
就職活動も途中で辞めた僕はこの練習参加でアピールできなかったら就職先がない状況
そんな中、死にものぐるいで毎日のトレーニングに参加した。
1週間後、2週間後、3週間後、全然きまらない。
当時の監督は日本のサッカー界のレジェンド
ラモス瑠偉監督。
最初はド緊張して初日が終わった夜はため息しか出なかった。
「アンタだめだね」なんて怒られる日もあれば「ナイスタキヤ」と褒めらる日もあり毎日がヒヤヒヤしていた。
いつ「明日から練習こなくてもいいよ」と言われてもおかしくない状況であった。
キャンプ帯同で勝ち取った契約
結論キャンプで4試合中4得点で契約ができた。
1試合目は高校生との試合で0点
とりあえずがむしゃらに走り回って得点を決めることを意識したが結果0点で沖縄の残りのキャンプの日数が真っ暗になるのではないかと思った。笑
2試合目は福島ユナイテッド1点
それから数日トレーニングしたあとJ3の相手になりこぼれ球ではあったが決めることができた。
3試合目はSC相模原2点
SC相模原については、当時の大学のコーチが繋がりがあり練習参加を夏頃と冬に一回と参加した。
一度SC相模原からは契約できないと言われていた。
まさかそんな相手とキャンプで試合できるとは。
燃える展開でしかない。
その試合で2点取ることができた。
今だからぶっちゃけるとホテルに帰ったあと
SC相模原から電話がありやっぱり来てくれとお話があった。
結果で評価する世界のリアルを感じた瞬間だった。
4試合目は川崎フロンターレ1点
一番緊張した試合だった。
相手はテレビで見る選手ばかりで「通用するかな」とかおもったり。
とにかく必死にプレーして試合の終了間際点を決めたのを覚えている。
試合は終わり。
「やりきった」と思えた。
これでだめだったらあきらめがつく。
それからキャンプ最終日に強化部にホテルの1室に呼び出だしがあった。
口頭だけであったが当時の強化部長から「契約する方向で進んでいる」の言葉を頂いた。
その日付が2月16日。(ぼくの誕生日)
最高のプレゼントであった。
確実にこの時決まったわけではわないが、、、、
結果的に3月頃まで本契約は伸びたが3月に本格的なリリースが出た。
リリース情報サイトから消えていたのでFC岐阜のTwitterアカウントから持ってきました。
プロサッカー選手として契約できた理由を考えてみた
今回の記事は今現状、高校、大学生でプロサッカー選手を目指している方への記事を書いた。
決まったのはシーズン始まる前の1ヶ月前くらいに入団が決まった。
それくらいギリギリに決まることもある。
練習参加で意識したこと
○何かしら印象を残すこと
僕はちなみに練習参加ではゲーム形式の練習で前を向けゴールに向かってシュートを打っていた。
どうせ練習参加なんて人生で最初で最後なわけで周りからどう思われようが、
今後の人生には関係がない。
当時、チームにいたブラジル人には馬鹿にされるほどあほみたいに前を向けばシュートを打っていた。
今思えばそれくらい印象を残す事が大事と感じた。
○結果にコミットする
ポジションにもよるが結論フォワードであれば相手のゴールから沢山点を取る。
これが1番重要
ぼくは練習生の時の練習試合での成績は良かった。
例えになるけど、練習試合が6試合あったとしたら4試合は点を取るイメージ。
だから契約をしてもらえた。
結局サッカー界でも、ビジネスで営業マンとして働く中でも結果でしか最終評価はしてもらえない。
その結果を残す方法としては一番は本番を想定したトレーニング。
その次にその場の空気感になれること。
よくその場の空気にのまれてしまい本来は違うんだろうなと想う選手も何度か選手時代に見た。
僕は幸いにもカテゴリーが下のチームは何度か大学4年生のときに練習参加していたので
練習参加することは徐々になれていた。
何度か他のチームに練習参加することで場の雰囲気や緊張感にはなれるのでここも重要。
○最後は運
結論、最後はどんなに結果を残してもパフォーマンスが良くても契約はもらえないことだってある。
選手時代に練習参加しに来た大学生で圧倒的にうまい選手だったが契約に至らなかった選手を複数人見た。
なにが違ったのか考えたがスカウトや監督の求めているものと違っただけだと思う。
ちなみに、その選手はそのあと違うJリーグのチームに入団していた。
それくらい実力も必要だが最後は運の部分もある。
まとめ
今回はサッカー選手になるまでとなれた理由を自分なりに考えてみました。
今後、このような形でリアルな情報をコンテンツとして書いてきます。
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